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      <title>Earth Voice Cafe</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
      <lastBuildDate>Fri, 15 Jan 2010 14:32:28 +0900</lastBuildDate>
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            <item>
         <title>自分だけしか出来ないもの</title>
         <description><![CDATA[<p>大人も子供も夢を持てない日本人が増えている。<br>
そんな日本で私が目指したものは、自分だけしか出来ないもの！
</p>
<ul>
<li><a href="#01">30年かけて作り上げたもの</a></li>
<li><a href="#02">夢</a></li>
<li><a href="#03">もうひとつの夢の実現へ向けて</a></li>
</ul>


<a name="01"></a>
<h2>30年かけて作り上げたもの</h2>

<p>30年間かけて作り上げたものは、今まで特殊能力だと思われていた 
気功法や催眠療法を、どんな人にも4日間で伝承するという時間への
挑戦とも言える技法だった。</p>
<P>今までの気功習得の方法と明らかに違う。
お年寄りでも習得できる楽な方法でありながら、習得時間が極めて短い。</p>



<a name="02"></a>
<h2>夢</h2>

<p>ガンになると患者や家族には「死」という言葉が頭に浮かび「絶望」 
が心を支配する。その「絶望」を振り払い「希望」に変える事ができる
気功法によって1人でも多くの患者やその家族を助けたいというのが
今の一番の希望である。</p>


<a name="03"></a>
<h2>もうひとつの夢の実現へ向けて</h2>

<p>実は、今年の夢はもう一つある。</p>

<p>お祖母ちゃん子で育った私は、年寄りが大好きである。</p>
<p>しかし、その年寄りが世の中の厄介者の様に老人ホームに入れられ寂 
しく最後を迎えるのを見るのはとても忍びない。</p>

<p>老人ホームに入っている老人にでも短期間に何の無理もなく修得させ 
られるこの技法は、希望を失ったお年寄りに「大きな希望」を持たせる
事が出来ると確信している。</p>

<p>人の為になり、御礼を言われて相好を崩しているお年寄りを見れたら 
どんなに幸せだろうと想像すると、じっとしていられなくなる。</p>

<p>他人に喜ばれることを出来る人間を百人・・いや千人・万人単位で養 
成して、新しい福祉日本の礎の一つになれたら最高の幸せである。</p>

<p>今年の元日・・・「本当にやれるなら、やってみせてみろ」という 
チャンスが訪れる事を神に祈った。</p>
]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2010/01/saimin.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">VOICES</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 15 Jan 2010 14:32:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>共感し協働する仲間が四国中を駆け巡る未来へ・・・</title>
         <description><![CDATA[<p>歴史的にも弘法大師が訪れた中国向けドキュメント映像は「絶対におもしろい、インパクトがある！」という気持ちになり「お遍路ロードムービー」製作を決意しました。</p>
<ul>
<li><a href="#０１">1．由来</a></li>
<li><a href="#０２">2．現在</a></li>
<li><a href="#０３">3．未来</a></li>
</ul>



<a name="０１"></a>
<h2>1．由来</h2>
<p><b>（どうしてループ88四国が出来たか？）</b><br>

<p>ＮＰＯ法人ループ88四国は、四国4県それぞれに本店所在地を置く、愛媛銀行をはじめとした第二地方銀行の従業員を中心として平成20年3月24日に設立しました。私達の銀行は、相互銀行を前身としており、その根源は、近世の無尽や頼母子講にあります。無尽・頼母子講は、日本には約1,500年前、中国から仏教とともに伝来し、鎌倉時代に「困っている人を周りの人が助け、お金や労力を融通しあう」庶民の相互扶助のシステムとして確立しました。</p>

<p>四国遍路がもつ「お接待」、「お互いさま」という、人間味のある温かい対応、他人を思いやる心は、まさに相互扶助精神そのものです。銀行のルーツに相通じる、誇るべき精神性や文化を深く考え人間として生きていく本質を学ぶとともに、「遍路文化」に多くの人々が触れることができるための事業運営に携わることは非常に意義深いものであり、また、第二地方銀行に勤める私たちだからこそ積極的に関わる活動だと考え、本法人を設立しました。</p>

<p><b>（どうしてこの「お遍路ロードムービー」を作ったのか？）</b><br>

<p>ＮＰＯ法人ループ88四国の目指すものとして、1,200年以上続いてきた四国遍路とその文化を1,000年後まで広く伝え残すことを目的としています。そして、様々な活動を通じて世界中の人々が四国の地へ何かを求めてやってくる礎を創り、世界規模での四国への誘致活動を行うことを掲げています。</p>

<p><img src="http://ev-cafe.org/images/ohenro_4.jpg" width="200" align="left" class="descriptionPic"  / ></a>こうしたコンセプトの元、主にアジア地域の人々が四国遍路を体験し、遍路文化に触れてもらうことを目的に、国土交通省の平成20年度VJC（ビジットジャパンキャンペーン）地方連携事業に応募しました。当初は、何となくしかイメージはもっていませんでしたが、NPO法人横浜アートプロジェクトの榎田理事長と出会い、榎田氏の中国との太いパイプ、そして何より四国遍路という有形・無形の文化価値を心で感じていただき、一気に中国向けのドキュメント映像を作成しようという機運が高まりました。私自身、こうした後押しを受け、歴史的にも弘法大師が訪れた中国向けドキュメント映像は「絶対におもしろい、インパクトがある！」という気持ちになり「お遍路ロードムービー」製作を決意しました。</p>

<a name="０２"></a>
<h2>2．現在</h2>
<p>「お遍路ロードムービー」製作を決意したものの、撮影方法、撮影時期、資金、撮影ルート等々、当初はどうしていいか全くわかりませんでした。四国遍路についても、具体的に勉強を始めて1年弱の私には、あまりにも荷が重い仕事だとも感じていました。しかし、ループ88四国を立ち上げた「志」だけは強く自分の胸に持っていましたので、絶対にこのプロジェクトを成功させたい、成功するんだという気持ちで取り組んでいきました。</p>

<p>ループ88四国スタッフはもちろんですが、榎田氏、キャンディ・ジャン氏、ガオ監督をはじめとする撮影スタッフの皆様の熱い想いのおかげで製作することができました。四国遍路について必死で理解しようとする中国人スタッフ、そして撮影中に幾度となく「お接待」、「おもてなし」をしてくれた四国中の人々に感謝の気持ちで一杯です。そして、この「お遍路ロードムービー」を日本人、中国人それぞれ多くの人々に見ていただき、何かを感じてもらい、四国へ遍路文化を味わいに来てほしいと思います。</p>

<a name="０３"></a>
<h2>3．未来</h2>
<p>「お遍路ロードムービー」製作を通じて、新しい自分を発見できたように感じています。「共感し、協働する」ということです。共感はできても、協働することは非常に難しいことです。しかし、今回の製作を通じて、仕事、出身、国、言葉など、背景の違う人間が、一つの目標に向かって「共感し、協働する」ことの楽しさ、嬉しさ、そして仲間意識が芽生える感覚を抱きました。</p>

<p>5年後、10年後どうなっているかはわかりません。しかし、ループ88四国は、今後もっと多くの共感できる仲間を作り、協働する人が一人でも多く増えている姿にしていきたいです。四国中で、「お遍路っていいよね」「四国と言えばまずは遍路文化」という状況を創っていき、そのコーディネーター役としてループ88四国のメンバーが四国中を駆け巡っているような未来でありたいと思っています。そして私は、その仲間の一人として遍路文化に関わり続けていきます。最後になりますが、今の私の夢は、３０年後に銀行を退職したら、通し打ちで歩き遍路をすることです。</p>]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/08/ohenro.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">VOICES</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 17 Aug 2009 02:01:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日中韓共同製作映画「3つの港の物語」によせて</title>
         <description><![CDATA[<p>これは北京電影学院と韓国フィルム・アカデミー、それに日本映画学校と、三ヵ国の映画学校が協力して作った国際合作映画で一時間四〇分の大作である。私の知る限り、学生映画で三ヵ国合作の長篇劇映画というのはちょっと前例がないのではなかろうか。</p>
<ul>
<li><a href="#０１">横濱学生映画祭で培われた友情</a></li>
<li><a href="#０２">映画作りという方法で３国の若者が交信</a></li>
<li><a href="#０３">作品全体が港のような役割だ</a></li>
</ul>



<a name="０１"></a>
<h2>横濱学生映画祭で培われた友情</h2>
<p>製作の母体となったのは毎年横浜で行われている横濱学生映画祭である。その常連の参加校であるこの三つの映画学校で、学生たちによる合作映画を作ることはできないか、ということが、何年か話し合われていた。はじめはそれは多分に空想的な話だったが、たまたま二〇〇九年が横浜開港一五〇年であり、横浜市にその記念映画の製作を援助したいという意向があることを知ってその夢が具体化した。</p>

<p>北京電影学院は張芸謀や陳凱歌など中国映画の今を背負う巨匠たちを輩出した名門校であり、多分、規模において世界最大の国立の映画学校である。韓国フィルムアカデミーは逆に極端な少数精鋭主義の小規模校だが、やはり準国立の映画委員会の下にあって、その豊富な公的資金によって全学生が最新の機材を使いこなせるなど、徹底したエリート主義の教育をやって卒業生たちが続々と相次いで優秀な作品を生んで、韓国映画の世代交代のひとつの原動力となった。日本映画学校としては正に、相手にとって不足はない、というところである。</p>

<p>スポンサーとしての横浜市から示された条件は港についての映画、ということだった。会議を重ねて、日本は横浜、中国は青島、韓国は仁川を舞台にした短編のドラマ作品を作り、これでオムニバスの長篇にしようということになった。日本はストーリーを公募し、中国と韓国には、それぞれ学校側で選んだ学生の監督たちに自由にシナリオをかいてもらった。学生作品といっても、学生たちは実際にはそれぞれ学校のカリキュラムで手いっぱいである。実際には卒業制作で監督として注目された学生が卒業後の第一作として脚本と監督に当り、在学中のスタッフたちと一緒に作るというかたちになった。教師がプロデューサーとして全体を指導した。</p>

<a name="０２"></a>
<h2>映画作りという方法で３国の若者が交信</h2>
<p><img src="http://ev-cafe.org/images/150_flyer_mini.jpg" width="150" height="211" 　 class="descriptionPic"  /></a>さて、こういうやり方でどういう映画が出来るか。出発点では見当もつかない。その見当もつかないところにわれわれは賭けた。日本と中国と韓国と、この複雑で厳しい歴史で結ばれ、近年ようやくまっとうな友情が成立つようになった東アジアの三ヵ国の青年たちが、実力的に平等と目される映画づくりという方法で互いの心と芸を示し合う。それだけで何かワクワクするではないか。さあ、どういうメッセージや心意気がそこに交信されるだろうか。</p>

<p>第一話、北京電影学院の｢Fish＆Bird」は、青島の近くの海辺に住む漁師の老人とその息子と孫の話である。老人の海への愛着と、青島に移住しようとしている息子夫婦への不満、そして孫への愛情がリリカルに描かれる。最後に老人が孤島で危機におちいったところで、孫が大事にしていた（日本発の）ヒーロー人形がアッと驚くような現れ方をするのであるが、このラストの機知が面白く、また日本の大衆文化がどれほど深く中国にも浸透しているかを示していて興味深い。</p>

<p>第二話、韓国フィルムアカデミーの「聾魚と月」は悲痛なドラマである。負傷で精神に障害を負った兄のめんどうをみながら仁川の港のほとりで零細な食堂をやっている女の話である。その厳しい生活の日々を描く正統リアリズムの演出演技はプロとしても立派なもので胸が痛くなる。兄がなくなって妹は、兄がよく生きたまま齧った生簀の魚を海に放して供養にする。月の冴えたその海の波の上を亡くなった兄が解放されたように小躍りしながら月に向かってゆく。最初に仁川港での日本人旅行者と韓国人との言葉の通じないなりの友情の物語であるはずだったのが、どたん場で急に変更になったのだが、そんな急ぎの仕事とは思えない見事な出来で、なかなかやる、と唸る。日本とも中国とも関係のない話だが、痛烈なまでに厳しい人生を見つめ、なおかつ最後には言いようのない愛のぬくもりが残る。</p>

<p><img src="http://ev-cafe.org/images/movie_yokohama.jpg" width="200" height="133" 　 class="descriptionPic"  />第三話の日本篇は横浜を扱った「桟橋」。「連戦連勝」と書いてもらうと仕合せになれると噂されている老人がいて、そのいわれを若い女性の雑誌記者がさぐる。卒業生の高崎浩が書いて応募して当選した原案のストーリーは軽快なものだったのだが、前年の卒業制作作品の「八月の軽い豚」で認められて監督に起用された渡辺紘文がこれを二十回近くも書き直すうちに、じつに堂々として本格的な反戦ドラマに変貌した。戦争中、教師として教え子たちを戦場に送り出した者の自己批判が、かつてない激しさ、生まじめさで述べられていて感動的である。日本側は誰も、中国篇が日本発のヒーロー人形の愛着のこもった作品に仕上がるとは知らないでこれを作っていたはずであるが、結果として日中両作品の間には興味深く重要なメッセージの交換が成り立ったと思う。これこそ、日中韓三国の学生映画合作が巧まずして生んだ成果である。いや、巧まずしてというのはちょっと違う。じつはなんらかの、互いに呼び合い、またそれをためらうモラルの上での力学が作用するようになるだろうということは秘かに期待していたのだから。韓国篇だけは一見それと無関係のようであるが、あえて日本にも中国にも目もくれず、一筋にわが道を行って高い完成度に達しているあたりはこの国らしくて天晴れと言いたい。</p>

<a name="０３"></a>
<h2>作品全体が港のような役割だ</h2>
<p>三つの作品、共通点はあるか。それこそ巧まずして生じた共通点はある。自国の現実を学生らしい生まじめさでしっかり見据えようとしていること、一見暗い内容だが、いずれも希望を暗示するような表現がじつによく考えぬかれた表現で盛り込まれていること、などであるが、表面的な見た目で言っても、いずれも海辺の物語で、海の表現が印象的である。日本と中国と韓国は海で結ばれている隣人同士であり、意外なほど共通の人間的な感情が全体を貫いている。</p>

<p>港の歴史や繁栄については三篇とも何も語っていないが、港の役割のひとつは異文化との交流であり交歓である。その意味ではこの作品自体が映画を志す三国の若者たちが一堂に会する港のような役割りを果たしている。ここにつどった日中韓の若者たちはもう、昔のマドロスもののようなドンチャン騒ぎはもう誰もやらない。そのかわり、みんな思慮深く、他者の心への理解に富んでいる。港のありかたも変ったのだ。</p>
]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/05/movie.php</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">VOICES</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 20 May 2009 13:54:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>豊かさはどこから来るのか</title>
         <description><![CDATA[<p>様々な才能が市場を豊かにするように、生物の多様性は生活を豊かにします。「生物の多様性」を測定するkikyoという単位を利用することで、環境再生を誰に任せれば良いかが明らかになります。<br />
良い取引は世の中を豊かにします。</p>
<ul>
<li><a href="#account">「環境会計」とkikyo</a></li>
<li><a href="#debt">子供にツケをまわさない！</a></li>
<li><a href="#taxation">日本税制改革協議会</a></li>
</ul>



<a name="account"></a>
<h2>「環境会計」とkikyo</h2>
<p>ハウステンボスのドムトールンでハヤブサが繁殖するようになりました。池田武邦先生が会長をしていた頃です。このような環境に良い影響を与えている人を積極的に評価する「環境会計」を設計しました。</p>

<p>様々な才能が市場を豊かにするように、生物の多様性は生活を豊かにします。「生物の多様性」を測定するkikyoという単位を利用することで、環境再生を誰に任せれば良いかが明らかになります。環境という財を損なうこと無く次世代に継承することが容易になります。</p>

<p>この生物多様性の尺度kikyoで、食の安全を測定しようというのがきっかけで雁音農産有限会社さんとつながりました。</p>

<p>雁音米は・・・</p>
<ul>
<li>生き物が食の安全を保証する。良いお米ですね。</li>
<li>慣行農法の田んぼのkikyoも測ってみたいですね。</li>
</ul>
<p>ちなみに雁音の田んぼは、4224kikyoです。</p>

<p>あちこちでビオトープを作っていますが、田んぼは、昔からあるビオトープです。たくさんの生き物が生きる田んぼを守る事を環境会計で伝えたいですね。</p>

<p>良い取引が世の中を豊かにします。良い取引を可能にするには、人々の関心と、共同する人のネットワークを整えることが重要です。映像が、人々の関心を高めてくれることを期待しています。</p>

<a name="debt"></a>
<h2>子供にツケをまわさない！</h2>
<p><img src="/images/karion2_4.jpg" class="descriptionPic" />フランス革命が分離したのは、国王の胴体と首だけではありません。課税権を権力者から分離しました。納税者は、「稼いだ金の使い方を自分自身で決めるか、あるいは政府に委ねるか」を、流血を伴うことなく選択できるようになりました。主権者にとって価値があるのは、権力者が何を約束したかではなく、その約束を果たしたかどうかにあります。<br />
権力者を合理的に評価するためには、「主権者の承諾なしに課税をしない」ことです。政府のコストが税収以上で、不足に対する備えがなければ政府は公債を発行します。その負担は、代表を選ぶことのできない将来世代の負担となります。「子供にツケをまわす」ことになります。選挙で選ばれる人達には、「子供にツケをまわさない」ことが民主主義で選ばれた者が守るべき基本の約束です。<br />
選挙で選ばれる人が、「子供にツケをまわしたのか」あるいは「まわさなかったのか」を会計情報として知ることで、その人に相応しい地位を与えることが可能になります。公会計研究所は、選挙で選ばれる人の「お会計」を進めています。</p>

<a name="taxation"></a>
<h2>日本税制改革協議会</h2>
<p>「子供にツケをまわさない」という誓約書を集めている組織に日本税制改革協議会があります。</p>
<p><a href="http://www.jtr.gr.jp/" target="_blank">http://www.jtr.gr.jp/</a></p>]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/03/karion2.php</link>
         <guid>http://ev-cafe.org/2009/03/karion2.php</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">VOICES</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 24 Mar 2009 23:42:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>地域とつながる新しい学校の形</title>
         <description><![CDATA[<p>日本古来の里山が残り、川で泳げ、田畑や山仕事も生活のうちであり、生活の呼吸を伝えられるお年寄りがまだまだ沢山健在しており、知恵の伝承が可能である場所。ここで教育と環境に関わる仕事を創造したいと考える中、生活体験重視のフリースクール活動をはじめました。</p>
<ul>
<li><a href="#theme">「みどりといやし」をテーマに</a></li>
<li><a href="#knowledge">知恵の伝承と新しいものへの臆病さが共存</a></li>
<li><a href="#school">新しい時代の息吹を感じるワンネススクール！</a></li>
</ul>
<a name="theme"></a>
<h2>「みどりといやし」をテーマに</h2>
<p>「みどりといやし」をテーマに地域おこしをしている中で、21世紀のテーマがだんだん見えてきて教育と環境に関わる仕事を創造したいと考える中、生活体験重視のフリースクール活動をはじめました。20歳前半に、土のない生活と交わることのない人間関係を味わった都会生活により、体を壊したことがきっかけでもあります。</p>



<a name="knowledge"></a>
<h2>知恵の伝承と新しいものへの臆病さが共存</h2>
<p><img src="/images/ishikawa_4.jpg" class="descriptionPic" />日本古来の里山が残り、川で泳げ、田畑や山仕事も生活のうちであり、生活の呼吸を伝えられるお年寄りがまだまだ沢山健在しており、知恵の伝承が可能である場所。<br />
また、木造の廃園になった保育所が拠点なので、昔ながらの生活空間を体験しやすい。</p>
<p>一方で、都会からの人の流れや新しいことへの取り組みへの臆病さが感じられる。これは、日本全国の田舎の共通の問題であると思う。また、情報の少なさからか、「世界が同時に動いている」という意識を育てにくい。</p>



<a name="school"></a>
<h2>新しい時代の息吹を感じるワンネススクール！</h2>
<p><img src="/images/ishikawa_5.jpg" class="descriptionPic" />参加している人達が「新しい時代を切り開いていける地球市民」になっていけることを願いとした大人から子どもまで参加できるスクールです。本当の自由を使いこなせ、場所に時間に自分にとらわれることのない豊かな生き方ができることを人の成長と考え、夢をもつこと、人にやさしくできることを大切にした活動をしています。自分自身の内に在る光（ワンネス）に気づき、他のいのちとのつながり（ワンネス）に気づける「ワンネス」を身につけることを大切にしています。<br />
言われた事をこなすだけの明治時代に必要としていた人材ではこれからの時代を切り開いてはいけません。自ら考え、決断して、他との調和のもと生きていける人に育って欲しく思っています。そして、不登校生徒たちは新しい時代の風に敏感だから不登校という形で自分を守っているのだと私たちは考え、不登校の中に新しい時代の息吹を感じています。（HPより抜粋）
</p>



<p>
<ul>
<li>日本文化をもう一度きちんと若者たちに伝えたい。</li>
<li>体得、体からの学び、生活から身につく生きる知恵が育つような学びの環境を創っていきたい。</li>
<li>日本だけでなく、世界各国でおこっている21世紀的動きがつながっていけるネットワークがつくれるといい。</li>
<li>年齢に関係なく赤ちゃんからお年寄りまで、いろんな人が行き通える場づくり。</li>
<li>NPO長屋のようなものができ、いろんな活動をしている市民が自由に交流でき、それぞれの専門知識や情報を共有でき、行政ともうまくタイアップしながら、本当に必要な情報・物・事がそれを必要とする人に行きわたれるシステムづくり。いのちですべてがつながっていけるような活動をもっと活性化していきたい。</li>
</ul>

<p>今後も映像文化を通しての地域づくりを続け、土地に根付いた活動をしていきたいです。</p>]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/03/ishikawa.php</link>
         <guid>http://ev-cafe.org/2009/03/ishikawa.php</guid>
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         <pubDate>Tue, 24 Mar 2009 03:20:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>遍路の旅は濃縮した人生</title>
         <description><![CDATA[<p>私は自分が四国で感じたそのものをできるだけ多くの人々に伝えられるといいなと思っています。でも同時に感性で強く感じたものを人々に伝える難しさをしみじみ感じています。どうやって硬い説教を捨てて、人に押し付けるような観光宣伝を避けて、四国そのもののように感性豊かで、そして人の心の深くまで感動を与え、自覚を喚起するのか。「四国」を伝えたいと思っている人がこれから考えるべきことです。</p>
<ul>
<li><a href="#actress">女優になったきっかけ</a></li>
<li><a href="#movie">お遍路ムービー撮影日記</a></li>
<li><a href="#trip">四国を旅して、女優としてのこれから</a></li>
</ul>
<a name="actress"></a>
<h2>女優になったきっかけ</h2>
<p>お芝居は小さい時から好きだったので、よく趣味で舞台や自主映画に出演していました。でもプロの女優になりたいと思い始めたのは、やはりチャン・イーモウ監督の映画「千里、単騎を走る」で高倉健さんに出会ったことがきっかけでした。<br />
この映画に出演できたお蔭で、いわゆるプロの中のプロの仕事ぶりと、彼らの芸術に対する高い追求を拝見することができました。チャン・イーモウ監督の独特な演技指導や、高倉さんの素晴らしい演技や、どれもこれもが今まで趣味でやってきた自分に対して激しい成長を必要としました。その中でもっとも勇気をもらったのは、高倉健さんからの励ましの言葉でした。撮影の前日や休憩する時、健さんはよく私に「演技は心から」と教えてくださり、そして「あなたはきっといい女優になりますよ」と暖かく励ましてくださいました。健さんに心から感謝しています。健さんのそのありがたい一言がなかったら、私はまだ何の目標も持てなくて北京の町でぶらぶらしていたでしょう。<br />
その映画が終わって二年後、私は日本に来て女優の仕事をはじめました。どんなに不調や困難の時があっても、いつも健さんの励ましの言葉を思い出しています。そしてどんな役に出会っても、いつも健さんから教わった「心から」の演技理念を肝に銘じて演じています。</p>

<a name="movie"></a>
<h2>お遍路ムービー撮影日記</h2>
<p>これは撮影が終わって書いた日記です。</p>
<h3>「遍路帰来」</h3>
<p>京都に帰ってきてからずっと昏睡の状態だった。ぼんやりした時もなんだか歩いているような気がした。<br />
たった10日間の撮影なのに、今までのどの撮影よりも疲れた。でも幸いに体の疲労だけだ。<br /> 
行く前はリポーターの仕事と聞いたので、テレビの経験があまりない私はかなり緊張していた。<br />何の事前の相談もなかったのに、翌日の撮影が始まった瞬間から撮影組全員一致で映画本来のやり方で撮影し始めた。あの時はまったく衝動的発想だったけど、今考えれば、全員が「テレビだけじゃもったいない」と感じたからだと思う。 しかし映画の撮影方法で観光番組を撮るのは大変だった。シナリオもロケハンもアイディアも何もかもその場で作る、それからすべての可能性を何回も何回もじっくり撮る。早朝から夕方最後の日差しまで、監督組、撮影組と録音組が働き続けた。どんな時に呼ばれるか予想できないので、私もずっと付いていた。コーディネーションも突然だしスタッフも少ないので、プロデューサーの榎田さんと制作の方もずっと付いていた。</p> 

<p>まったく空前絶後な撮影風景だ。</p>

<p>最初は自分がリポーターなのか役者なのか戸惑った。ついでに自分が芝居しているか本当に遍路をしているかさえも分からなくなった。 だってお遍路さんと同じように四国全土を巡礼し、お接待をしてもらうし、お遍路さんとして四国各地の皆様に励ましてもらったんだもの。街行くみんながテレビニュースで撮影のことを観たと、わざわざ握手しにきて私のことを「中国からきたお遍路さん」と呼び、自分の遍路経験を分かち合ってくれた。そして「まだまだ道が長いのでがんばってください」と、瞼が熱くなるまで親切に励ましてくれた。<br />
僅か10日の撮影の中に、私は10回以上もお接待をしてもらった。お接待の内容は、みかん、自分で作った弁当、絵葉書、奉納札、お経、白衣、納経料、飲み物、手ぬぐい、飴、ミルク、宿泊、私の似顔絵……平均毎日一回以上！ <br />
そして巡礼の道で出会ったお遍路さん、みんなこの世界と人生を大事に思っている方ばかりで、短い時間だけど、一緒にお話ができて本当に教えられるところが多かった。<br /> 
遍路の旅は濃縮した人生のように思える。いろんな人と出会って、温かい気持ちに励まれて助けられ、そして旅が長くても苦労をしても一人ぼっちでも前に前にとひたすら進む。<br /> 
中国の作家張愛玲は「われわれの世代は、本の中で海を読み、本当の海を見たのはずっと後だ」と述べている。そして今、私達は本当の海を見た瞬間に、海は言葉で言いようがない存在であることにはじめて気がついたのだ。</p>

<p>撮影が終わった日、私はいつか必ず本当に徒歩で遍路をしようと自分に誓った。自分の目でしか海を見ようがないからだ。</p>

<p>四国の自然と旅で出会った人々を、私は心に収める。<br />
旅で偶然に出会った「一言」を、ここに書きとめる。 </p>

<p>「朝がきました　今日一日の自分に出会いました」<br />
「輪廻転生の花が咲く　りんねてんせいの花がちる」<br />
「いいものはいいね　すきなものはすき」<br />
「前に歩いていくれた人のいたおかげで　今　こうしてぼくは歩いていられるのです」<br />
「ごめんなさいを素直にいえる自分でありたい」<br />
「ご縁あって咲くいのち　ご縁あって散るいのち」</p>

<a name="trip"></a>
<h2>四国を旅して、女優としてのこれから</h2>
<h3>四国でのお遍路体験を経てこれから伝えたいこと</h3>
<p>四国と触れたことで、自分が精神的に大きく成長したように感じます。何か今までずっと捜し求めてきたけど、よくわからない、とても貴重な目に見えない何かと出会った感じです。もちろん四国は自然も綺麗で食べ物もおいしい、観光には最適な所としみじみ感じました。でもそれだけではないんです。四国の官も民もみんなが大事に保護して残してきたお遍路文化が語りかけている、人間や自然との関係についての深い意義は全人類共通のものだと思います。しかも、今の時代にもっとも大切にすべきものだと思います。<br />
私は自分が四国で感じたそのものをできるだけ多くの人々に伝えられるといいなと思っています。でも同時に感性で強く感じたものを人々に伝える難しさをしみじみと感じています。どうやって硬い説教を捨てて、人に押し付けるような観光宣伝を避けて、四国そのもののように感性が豊かで、そして人の心の深くまで感動を与え、自覚を喚起するのか。私はとても微力な人間で、ある文化を多くの人に伝えるためにできることはごく限られていると思います。でも私にできることなら、必ず四国のお遍路文化を、日本だけじゃなく、アジアそして全世界に紹介する事業に身を尽くしたいと思っています。</p>

<h3>女優という仕事の今後について</h3>
<p>女優の仕事の一番いいところは「出会い」だと思います。人との出会い、場所との出会い、そして役との出会いを通して、運命との出会い、自分との出会い、人生との出会いにつながっていく。この仕事をしている自分がとても幸せだと思います。<br />
<p>私は自分が大志を抱いている人間じゃないと思っています。将来についても一度も計画を立てたことがない。ただ目の前のことだけを大事にしたい、仕事も、生活も、今出会ったすべての瞬間を心こめて感じて大切にしたい。ただ、それだけです。</p>]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/03/ehime.php</link>
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         <pubDate>Tue, 24 Mar 2009 03:20:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>源流からの手紙</title>
         <description><![CDATA[<p>群馬県多野郡上野村－ここは沢山の天然素材にあふれている。目にするもの、耳にするもの、ただよう香り、肌で感じるもの、舌で感じるもの、そして何より『こころ』で感じるものを広く多くの方々との共有財産になったら素晴らしいと感じる。</p>
<ul>
<li><a href="#asset">私の思い－無形のものの価値こそが財産－</a></li>
<li><a href="#iturn">Iターン組が住みつく訳</a></li>
<li><a href="#field">山村留学－子供たちの内在する力が発揮される場－</a></li>
</ul>
<a name="asset"></a>
<h2>私の思い－無形のものの価値こそが財産</h2>
<p>上野村は沢山の天然素材にあふれている。目にするもの、耳にするもの、ただよう香り、肌で感じるもの、舌で感じるもの、そして何より『こころ』で感じるものを広く多くの方々との共有財産になったら素晴らしいと感じる。</p>


<p><img src="/images/uenomura_4.jpg" class="descriptionPic" />ココに暮らす人間とココを好きになってくれる応援団とのゆるやかな結びつきを上手に演出したい。本物の良さは本物に触れなければ分からない。だが最初に本物の存在に気付かなければ、情熱的なアクションは始まらない。まずは知ってもらうこと。感じてもらうこと。</p>
<p>散りばめられた本物のピースをどう組み合わせるかで、パッチワークの作品の感じ方も変わってくる。訪れるであろう人たちに新鮮で素朴なピースたちをドンドン紹介し、提供していきたい。それらを拾い集めて自分らしい作品をみなさんに作り上げていただきたい。そしてココにいる人間に素材の良さをたくさん教えていただきたい。ココにいる人間はもっともっと真剣にその素材を末永く大切に扱っていこうと気持ちを新たにするきっかけになるであろう。</p>




<p>実は、その素材の中には無形のものも多い。実際に無形のものにも目を向けて欲しい。触れて欲しい。無形のものの価値こそがこの村の本当の財産かもしれない。</p>

<a name="iturn"></a>
<h2>Iターン組が住みつく訳</h2>
<p><img src="/images/uenomura_6.jpg" class="descriptionPic" />上野村を流れる神流川が、「関東一きれいな川」に4年連続（平成16～19年）選定される（国土交通省の水質検査において）。環境省からは、平成の名水100選に選ばれる。</p>



<p>村の総面積の9割以上が森林でそのほとんどが天然林。周り中が緑豊かであり、四季折々の彩りを魅せてくれる。シオジの原生林は、国の天然記念物に指定され、猛禽類やヤマネやカワセミ、蛍などの野生動物も生息。生態系が非常に豊かである。日本では珍しいアオバトも生息している。</p>


<p>上野村の環境が気に入って住みついたIターン組は150人余りにのぼる。<br />
自然薯・よそもの・わかもの・ばかもの、それぞれ面白い人間味があり、そういう人材の宝庫。「子育てするなら上野村」・・・自然の豊かさといい、住んでいる人間の味といい、地域の力で子どもがのびのび育てられる。
</p>

<a name="field"></a>
<h2>「山村留学」－子供たちの内在する力が発揮される場－</h2>
<p>平成4年4月から開設。17年間の活動で、のべ255名の子供達が「かじかの里学園」の山村留学を体験し、上野村から巣立っていった。<br />
<p>日常生活は、学園の施設で共に暮らす。寝食を共にするので、ひとつの家族のような雰囲気で人間関係を学びあえる。食事作り、そうじ、洗濯など生活する上で必要なことは、基本的に「自分のことは自分で」やってみる。または、仲間同士で協力して取り組む。</p>



<P><img src="/images/uenomura_5.jpg" class="descriptionPic" />学校生活は、上野村の小中学校へ転校してくる形をとる。少人数できめ細かく温かい教育環境。<br />
休日の時間には、様々な創作活動（陶芸・草木染・木工・皮細工・郷土料理・など）・野外活動（川遊び・キャンプ・登山・クライミング・裏山探検・洞窟探検・サイクリング・アニマルトラッキングなど）を体験できる。そこでも個人チャレンジとグループチャレンジがあり、自分の目標設定を目指して挑戦できる。<br />
畑では作物を生産し、鶏などの家畜もいるので栽培・世話から食卓までを一貫して学ぶことができる。また、食事時に出る生ごみや落ち葉などを利用し、堆肥作りも行い畑に還す。「すべてのつながり」を暮らしの中から学べる。</p>



<p>村ならではの年中行事への参加を通じ、24節季を感じながら自然の暦に沿った暮らしを体験。村人との交流から直接村の文化を学べる。<br />
子供達は協働作業の前・中・後のふりかえりの時間を大切にし、自分と仲間をやさしく見つめる力を育む。</p>



<p><img src="/images/uenomura_7.jpg" class="descriptionPic" />『山村留学』は一年間という長い時間をかけて子供とじっくり付き合える最高の仕事。<br />
子供はそれぞれの豊かな感性とリズムで生きるナマモノ。山村というフィールドの中でこそ、活き活きとその内在する力が発揮される。ホンモノに反応する彼らの力は他に類を見ないほど優れている。彼らとの共同生活は、忘れかけたモノ、見えなかったモノ、思いもしなかったコトを再確認させてくれる。その連続。<br />
この「かじかの里」の環境を必要としている子供・人間が全国にまだまだ沢山いるはず。必要としているその子の元に、必要なエッセンスを届けてあげたい。また、ココに暮らす私たちもココに必要な人とめぐりあいたい、つながりたい。双方向の通い合いを願う。</p>
<dl>
<dt>「山村留学」をすると・・・</dt>
<dd>冒険ができる。</dd>
<dd>森や川や風などの自然と一体になれる。</dd>
<dd>自分のこころや魂と素直に向き合える。</dd>
<dd>仲間と一緒に心の底から笑いあったり、泣くことができる。</dd>
<dd>生活しながら、地球の環境についてみんなで語り合える。</dd>
<dd>自分の興味あることを納得がいくまで追求する学びの場がある。</dd>
<dd>自分のことを自分の力でどこまでできるか試していける。</dd>
<dd>自由に自分を表現することができる。</dd>
<dd>山里の暮らしの知恵や技を学ぶことができる。</dd>
<dt>「山村留学」のすごいこと・・・</dt>
<dd>TVがない。ゲームがない。漫画がない。</dd>
<dd>ケータイがない。そもそも通じない。</dd>
<dd>人間関係がとても濃い。濃すぎる。</dd>
</dl>
<p>このような環境を、それぞれがどう乗り越えていくかが問題。</p>]]></description>
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         <pubDate>Thu, 05 Mar 2009 03:11:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ゆれないムラ</title>
         <description><![CDATA[<p>「山村は貧しい。ムラは封建的であると人は言う。それでも私はムラに生きる・・・」10代の終わりに、NHK・青年の主張で私は言った。<br />
山村の過疎化の流れは更に進むだろう。現在12戸となった杉沢の世帯がもっと減っても人々の記憶に残るムラをつくってゆきたい。そのカギとして、木と石と人とのつながりを考えている。特に都市の人々との共創を意識する。</p>
<ul>
<li><a href="#village">金を取ることを競うかぎり山村は貧しい</a></li>
<li><a href="#green">グリーンツーリズムのさきがけ「暮らし考房」</a></li>
<li><a href="#sugisawa">「共生のむら　すぎさわ」は喜びと誇りを産んだ。</a></li>
</ul>



<a name="village"></a>
<h2>金を取ることを競うかぎり山村は貧しい</h2>
<p>“限界集落”、山村の多くのムラの現状をメディアや行政、或いは研究者がそう呼ぶ。山村に生まれ、暮らす私にとって、なんとも悲しく腹立たしい呼ばれようではあるが、高齢化率40％とはいえ、町一番の山奥の小さな集落。毎冬2mの積雪に覆われ、かつての18戸から12戸に減った私のムラも、他人事とすます事のできない現実でもある。<br />
私の住むムラは、山形県金山町杉沢地区。奥羽山脈から流れ出る中田春木川の上流2.5kmに点在する。三峡とはいえ30ha余の水田があり300haの民有林を持つ杉沢は、かつて、夏は米と養蚕、冬は炭焼で、町内でも裕福なムラと言われてきた。しかし今は、どこのムラとも同じく兼業の進行と農林業の縮小の中であえぎ、山村住民の街へのあこがれとあいまって、ムラ存続の危機さえ孕んでいる。<br />
金を取ることを競うかぎり山村は貧しい社会となる。</p>

<a name="green"></a>
<h2>グリーンツーリズムのさきがけ「暮らし考房」</h2>
<p>18年前、国中がまだバブル経済の余韻さめやらぬ頃、崩壊してゆく山村を覆い、金ではなく、どんな暮らしができるかを尺度にするなら山村は貧しくないと考え、暮らしを視点に農山村の豊かさを考え、創造し、伝える活動の拠点「暮らし考房」を建てた。<br />
まずは山村で農林業を営む自らの暮らしを公開すること。身近な草木で染めを楽しむ姿。捨てられる杉の伐根でチェンソーアートをする長男。ヤギを飼い、乳を飲み、チーズやアイスクリームも楽しむ自創自給と名付けた暮らし。時は自分探しの始まり。すぐに若者の入りがおき、グリーンツーリズムの先駆けとなった。<br />
一方、ムラ内では、山村で暮らす意味や、自然とのかかわりの有り様を共有したいと、信頼を寄せる哲学者の内山節さんを招いて、学ぶ場を開くことにした。実行委員会を立ち上げ、ムラ人の手で運営される「山里フォーラムinかねやま」は、講義を聴き、参加してくれたムラ人以外の人達と酒を飲み、酔いに押されて論を交す。<br />
翌日はムラの技や暮らしにふれてもらう企画にした。11回目からは、「内山節の山里哲学精舎」と形を整え、師と門人の関係を結ぶ世話人方式。県外20余人を含む30人の世話人が金を出し合って、杉沢で野の哲学の場を開くことにした。今年は山里フォーラムから数えると15回となる。</p>

<a name="sugisawa"></a>
<h2>「共生のむら　すぎさわ」は喜びと誇りを産んだ</h2>
<p>1998年金山町に第三セクター方式のホテルが建った。杉沢とは川の流域の違う一山を隔てた場所に作られた滞在型のホテル。宿泊客への体験提供の要請に、経営に当たるJRマンが来た。かねてより私は、温泉・宿泊・体験・直売・レストラン等をセットした囲い込み方式では地域の活性化につながりにくいと考えていた。そこで、<strong>1.体験はムラに来て行う、2.受け入れ決定権はムラが持つ、3.客の送迎はホテルが行う、4.体験料は直接支払う</strong>、等の提案をし、ムラの中に体験受け入れの農家を確保することにした。<br />
かくして7人の山里の案内人による体験と民泊の「共生のむら　すぎさわ」がスタートした。<br />
同時にホテルと提携した金山型体験受け入れがパターン化された。ホテルの営業努力があって、一年目で2,000人を超える人が「共生のむら　すぎさわ」に入った。静かだった山奥のムラをホテルの送迎バス、見慣れない県外車、はたまた大型観光バスが走り、4戸の農家に人が出入りする。</p>

<p>翌年には森を案内する若者たちのグループ「森の案内人」も加わって、メディアは、山村での地域ぐるみのグリーンツーリズム、ホテルと提携する地域づくりと何度も紹介してくれた。2000年には新聞7回、TV7回、雑誌11回と紹介された。<br />
それは、内山哲学を学ぶことや、人の出入りと合わせて、ムラで暮らす喜びと誇りを生んだ。<br />
人の入りは、物の動きも促し、米を中心とした会員制生産物宅配が生まれ、貞治さんの作るヤマブドウ皮細工は、全国から注文が入り次年度待ちが多い。ムラに伝わる「2月泣きイタヤ」の物語を活かした楓の樹液はドリンクや地ビールに加工され、国内唯一のメープル商品の産地として今は知られる。</p>

<p>そして、地域で共に活動してきた「親林倶楽部森の案内人」は2004年度全国林業グループコンクールで農林水産大臣賞に輝き、2007年「共生のむら　すぎさわ」は、立ち上げる農山漁村選定、「オーライ｜ニッポン大賞」の審査委員長賞を受けるに至った。</p>

<p>今、山村での地域づくりの事例としても多くの人の出入りが続く。そんな中、2008年春、種々の事情を抱え、一戸がムラを去った。留めることのできない過疎化の流れ。その現実を受け止めながらも、地域を活かし、小さくとも輝くムラ、元気な山村であり続けたいと思う。</p>]]></description>
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         <pubDate>Thu, 05 Mar 2009 02:50:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>土と水の交わるところ・・・</title>
         <description><![CDATA[<p>「雁音米」は、無農薬や減農薬栽培はもちろん、ビオトープなど生き物の空間作りや田んぼの整備事業の見直しなど、総合的な田んぼの再生によって、様々な生き物たちとの共存を目指しています。私達日本人は、お米を食べるだけで環境を守ることもできるのです。
</p>
<ul>
<li><a href="#karion">「雁音米」が生まれるまで</a></li>
<li><a href="#natural">天然記念物と当たり前に共存！</a></li>
<li><a href="#environment">お米を食べるだけで環境を守る</a></li>
</ul>



<a name="karion"></a>
<h2>「雁音米」が生まれるまで</h2>
<p><img src="/images/karion_4.jpg" class="descriptionPic" />平成5年、未曾有の大冷害により、東北地方の農家が大打撃を受ける。<br />
平成7年、冷害に負けない稲作りとして不耕起栽培を開始。<br />
平成8年、雁の「日本雁を保護する会」の協力のもと、地域で初めておよび水田の冬期湛水（ふゆみずたんぼ）を行う。<br />
平成10年、「いつまでも雁の声が聞こえる米作りを」という意味をこめて、「雁音米」を創出。<br />
平成13年10月、農家相互の協力と普及、雁音米の販売のため、農家の有志で雁音農産開発有限会社を設立。<br />
業種：雁音米およびその他農産物の栽培、加工、販売、栽培指導他<br />
取組農家数：150名、（雁音米栽培面積：およそ471ha）</p>


<a name="natural"></a>
<h2>天然記念物と当たり前に共存！</h2>
<p>雁音米の郷である宮城県北部は、日本で最大の雁の越冬地であり、越冬のため日本に渡ってくるガン類の9割以上が宮城県北部で生活しています。これは、自然度の高い沼と広大な田んぼが絶妙なバランスで調和しているからです。<br />
他の地域から来た人達が地域に根付き、地域の農家と一緒に保全活動やグリーンツーリズム(都市農村交流)などを活発に行っています。田尻の人たちはよそ者に寛大で、それを受け入れ、自分達も変わることのできる器の大きさと柔軟さを持っていると思います。
</p>

<p>冬になると、様々な田んぼで天然記念物のマガンをたくさん見かけることが出来ます。国を挙げて保護すべき野生生物が、当たり前のように隣り合わせで共存しているこのような光景は、他では見られません。</p>

<p>けれども問題点もあります。雁の呼び戻し運動が民間主体で始まったために、このような運動に行政が遠慮しがちで、明確な地域指導がなされていません。行政が積極的でなく、農業という産業が冷え込んでいるために、環境活動や個性的な農業で活躍している農家とそうでない農家との間に大きな温度差があります。<br />
そのため、いくら先進的な農家が保全活動を行っても、一部で圃場整備事業などの水田の破壊が依然として行われています。</p>


<a name="environment"></a>
<h2>お米を食べるだけで環境を守る</h2>
<p><img src="/images/karion_5.jpg" class="descriptionPic" />雁音米は、雁との共生を願って生まれたお米です。田んぼでは、雁も含めたくさんの生き物が、私達の米作りを待っています。田んぼやあぜ、小川や水路、池や沼などを棲みかとする生き物達が、複雑な田んぼの生態系を作っているからです。</p>

<p>しかし、私達日本人全体が都会的で便利な生活を求めすぎた結果、田んぼは住宅地や工業地、そしてコメの生産工場として次々と開発されました。田んぼの喪失、農薬の使用、水路のコンクリート化などによって、生き物たちの命と生活場所が、どんどん奪わるようになったのです。</p>

<p>私達の田んぼでは、毎年冬になるとたくさんの雁が訪れ、落ち穂を食べて過ごしています。
私達の地域では、マガンが2千羽まで減ってしまい、絶滅が心配されていましたが、農法の工夫や沼の復元によって6万羽以上まで回復しました。私達が工夫し譲り合うことで、環境は再生できるのです。</p>

<p>雁音米は、無農薬や減農薬栽培はもちろん、ビオトープなど生き物の空間作りや田んぼの整備事業の見直しなど、総合的な田んぼの再生によって、様々な生き物たちとの共存を目指しています。私達日本人は、お米を食べるだけで環境を守ることもできるのです。ぜひ皆さんも、自分の、身の回りの田んぼや食卓に並ぶご飯に、たくさんの思いを馳せてみてください。その上で、私達のお米を選んでもらえたら・・・農家にとって、これ以上の喜びはありません。</p>]]></description>
         <link>http://ev-cafe.org/2009/03/karion.php</link>
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         <pubDate>Thu, 05 Mar 2009 02:20:15 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>

