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ゆれないムラ

ゆれないムラ

「山村は貧しい。ムラは封建的であると人は言う。それでも私はムラに生きる・・・」10代の終わりに、NHK・青年の主張で私は言った。
山村の過疎化の流れは更に進むだろう。現在12戸となった杉沢の世帯がもっと減っても人々の記憶に残るムラをつくってゆきたい。そのカギとして、木と石と人とのつながりを考えている。特に都市の人々との共創を意識する。

金を取ることを競うかぎり山村は貧しい

“限界集落”、山村の多くのムラの現状をメディアや行政、或いは研究者がそう呼ぶ。山村に生まれ、暮らす私にとって、なんとも悲しく腹立たしい呼ばれようではあるが、高齢化率40%とはいえ、町一番の山奥の小さな集落。毎冬2mの積雪に覆われ、かつての18戸から12戸に減った私のムラも、他人事とすます事のできない現実でもある。
私の住むムラは、山形県金山町杉沢地区。奥羽山脈から流れ出る中田春木川の上流2.5kmに点在する。三峡とはいえ30ha余の水田があり300haの民有林を持つ杉沢は、かつて、夏は米と養蚕、冬は炭焼で、町内でも裕福なムラと言われてきた。しかし今は、どこのムラとも同じく兼業の進行と農林業の縮小の中であえぎ、山村住民の街へのあこがれとあいまって、ムラ存続の危機さえ孕んでいる。
金を取ることを競うかぎり山村は貧しい社会となる。

グリーンツーリズムのさきがけ「暮らし考房」

18年前、国中がまだバブル経済の余韻さめやらぬ頃、崩壊してゆく山村を覆い、金ではなく、どんな暮らしができるかを尺度にするなら山村は貧しくないと考え、暮らしを視点に農山村の豊かさを考え、創造し、伝える活動の拠点「暮らし考房」を建てた。
まずは山村で農林業を営む自らの暮らしを公開すること。身近な草木で染めを楽しむ姿。捨てられる杉の伐根でチェンソーアートをする長男。ヤギを飼い、乳を飲み、チーズやアイスクリームも楽しむ自創自給と名付けた暮らし。時は自分探しの始まり。すぐに若者の入りがおき、グリーンツーリズムの先駆けとなった。
一方、ムラ内では、山村で暮らす意味や、自然とのかかわりの有り様を共有したいと、信頼を寄せる哲学者の内山節さんを招いて、学ぶ場を開くことにした。実行委員会を立ち上げ、ムラ人の手で運営される「山里フォーラムinかねやま」は、講義を聴き、参加してくれたムラ人以外の人達と酒を飲み、酔いに押されて論を交す。
翌日はムラの技や暮らしにふれてもらう企画にした。11回目からは、「内山節の山里哲学精舎」と形を整え、師と門人の関係を結ぶ世話人方式。県外20余人を含む30人の世話人が金を出し合って、杉沢で野の哲学の場を開くことにした。今年は山里フォーラムから数えると15回となる。

「共生のむら すぎさわ」は喜びと誇りを産んだ

1998年金山町に第三セクター方式のホテルが建った。杉沢とは川の流域の違う一山を隔てた場所に作られた滞在型のホテル。宿泊客への体験提供の要請に、経営に当たるJRマンが来た。かねてより私は、温泉・宿泊・体験・直売・レストラン等をセットした囲い込み方式では地域の活性化につながりにくいと考えていた。そこで、1.体験はムラに来て行う、2.受け入れ決定権はムラが持つ、3.客の送迎はホテルが行う、4.体験料は直接支払う、等の提案をし、ムラの中に体験受け入れの農家を確保することにした。
かくして7人の山里の案内人による体験と民泊の「共生のむら すぎさわ」がスタートした。
同時にホテルと提携した金山型体験受け入れがパターン化された。ホテルの営業努力があって、一年目で2,000人を超える人が「共生のむら すぎさわ」に入った。静かだった山奥のムラをホテルの送迎バス、見慣れない県外車、はたまた大型観光バスが走り、4戸の農家に人が出入りする。

翌年には森を案内する若者たちのグループ「森の案内人」も加わって、メディアは、山村での地域ぐるみのグリーンツーリズム、ホテルと提携する地域づくりと何度も紹介してくれた。2000年には新聞7回、TV7回、雑誌11回と紹介された。
それは、内山哲学を学ぶことや、人の出入りと合わせて、ムラで暮らす喜びと誇りを生んだ。
人の入りは、物の動きも促し、米を中心とした会員制生産物宅配が生まれ、貞治さんの作るヤマブドウ皮細工は、全国から注文が入り次年度待ちが多い。ムラに伝わる「2月泣きイタヤ」の物語を活かした楓の樹液はドリンクや地ビールに加工され、国内唯一のメープル商品の産地として今は知られる。

そして、地域で共に活動してきた「親林倶楽部森の案内人」は2004年度全国林業グループコンクールで農林水産大臣賞に輝き、2007年「共生のむら すぎさわ」は、立ち上げる農山漁村選定、「オーライ|ニッポン大賞」の審査委員長賞を受けるに至った。

今、山村での地域づくりの事例としても多くの人の出入りが続く。そんな中、2008年春、種々の事情を抱え、一戸がムラを去った。留めることのできない過疎化の流れ。その現実を受け止めながらも、地域を活かし、小さくとも輝くムラ、元気な山村であり続けたいと思う。

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運営者写真

栗田和則(暮らし考房主宰/共生のむらすぎさわ代表)
栗田キエ子(暮らし考房主宰)

農林家 10代より地域での自主的なグループ活動を実施。20余年前から山菜研究会や、暮らし考房、共生のむらすぎさわを立ち上げ、山村活性化の成功例として、全国に知られる。

地域

山形県最上郡金山町